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FinalFantasy14

The Unending Coil of Bahamut

なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない。
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FF14アタゴオル分析

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04
2018  13:00:33

自分ひとりだけでも自分を信じてあげよう。のお話

ルーズベルト大統領夫人の言葉
「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。何をしても批判されるのだから。」

参考引用『エリノア・ルーズベルト―アメリカ大統領夫人 (伝記 世界を変えた人々) 』単行本 – 1994/2/1
デイビッド ウィナー (著), David Winner (原著),




ふと転がってたこの本↑を読んでて、とある助教授(M氏)のことを思い出してしまった。 
なんであんなチンチクリンに私は真面目に対応してたんだろう、と今だからこそ思えるけど
当時は 「教授/学生」という余計なフィルターがあったので仕方あるまい。
とにかく批判精神のかたまりタイプで、なにかなにかねちねちとケチをつけてくるのだ。ネチけち



当時感じたことを文字に起こしてたら、FF14インする時間がなくなったのは許されまじきことなりだが
たまに人生を振り返るのは有意義な時間になることは確かであろう。
とりあえずの経験談でしかないが、こういうタイプの人間で今悩んでる人にはなにか伝わればいいなと思って書いてみることにする。





1)批判攻撃する人は大抵の場合それしか能がない
仕事はもちろん、勉強でもゲームであっても一定以上の確率で必ずこういう人はいる。これは仕方ない。
矛先がこちらに向いても”ああ、なんかイヤなことでもあったんだろうな” くらいの気持ちでいれたらいいのだが
直接的に関わりのある人間だとそうもいかないのが世の中だったりする。


何をやったとしても、何もやらなかったとしても、
そしてどっちにすべきか迷ってる時でさえ批判してくるし、
厄介なことに、批判攻撃したいだけの人もいたりする。(M教授みたいに)


なんとも不条理ではあるが なにをしても批判がくるとわかれば、その事実を受け入れて先を見たほうが建設的である。
つまり他人の顔色をうかがって自分の本意では無い言動を取るより、自分の信念に従って信じた道を選ぶということである。



道を選んだところでどっちが正しかったなんていうのもなければ、いちいち悲観する必要も本来はないはずなのだ。

自分が「正しい」と信じていることであれば、
ただ批判したいだけの評論家が繰り広げる”実の無い批判”に対しても耐え忍ぶ気力を失わずにすむし、
こういった無駄な時間を過ごすのはもちろん、”過ごしてしまった”という喪失感に捕らわれる必要もないからだ。


しかし「しつこい批判攻撃者」の存在のせいで精神的疲弊が積もりに積もって
信念が揺らいでしまうことはあるであろう。
人間だもの。500円玉ハゲだってできる。



他人の意見に耳を傾ける謙虚な人ほど、こういった苦しい状況に陥りやすいのも事実であるが
あるレベルまで耐え抜くことを経験すると、悟りの地が訪れるのもまた事実である。(坊主にするという意味ではない)





2)批判攻撃者は基本的に無責任なので相手にしてはならない
こういうめんどくさい人はそれしか能がないのかという程に何度も批判を繰り返してくるので
言われる身としてはかなりのエネルギーを使うし、立場によってはとても辛いものになるかもしれないが、
「ああ。どうあってもこの人は批判しかできないんだな。」と諦めることができたらこっちのものである。


相手にする価値すらないということもわかってくるし、
気が付いたら自分のほうが立場が上になってて むこうから頭下げてくる、なんてこともザラである。
このように自分の都合のいいようにコロコロ態度を変えるところも、批判攻撃者の特徴と言えよう。




3)批判攻撃者の特徴
誤解されそうなので補足すると”自分の意見に賛同してくれない人が批判者”ではない。

■批判攻撃者の特徴
Aと考えてます  →「Aじゃないだろ。バカかおまえ(罵言)」

■これは批判攻撃とは言わない
Aと考えてます  →「なるほどそうか。でも僕はBだと思う」


批判攻撃者の特徴としては、その場を解決するどころか足をひっぱる存在になることが多く、
乱暴な言い方をすると、いないほうが皆が平和になる的存在。(教授M氏は散々まわりからこういわれてた)

・なんら建設的な意見を言えない 
・愚痴しか言えない 
・感情的である 
・立場が悪くなると逃げる  
・主張に一貫性が無い 
・これらに自覚がない 




勿論、自分が明らかに間違っているという場合も往々にしてあり得るので、
表に出す前に一度自分の意見を批判的に精査してみる必要はあるし、この”自分で自分を批判する”という作業もまた膨大な労力が必要ではあるが、これにより「やはり自分間違ってたな」と思うなら・思えたなら、これに勝る建設的な一歩はないと言えよう。





4)なにが正しいとかはそもそもない。
いずれにせよ世の中色んな意見を持っている人がいるので、
練りに練って慎重に慎重を重ねたとしても万人が納得できる意見を作り上げる事はまず不可能に近い。


しかし残念なことに批判攻撃者はその視野の狭さのために、”何が正しいとかそもそもない”ことすらも知らないのである。
そのため、時には批判攻撃者を(紳士的に)かわしたりという技術も必要ではあるが、こちらが

■自分が信じていることをやる
■間違えに気づいたら正す


これを徹底していれば自ずと周囲には良識ある人間が集まってくるので、(声を大にして言える)
たとえ現時点で自分の周り99人が批判攻撃者であったとしても
残り1人、つまり自分だけでも自分を信じてあげてほしいと思うわけである。



ルーズベルトー大統領夫人の言葉
「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。何をしても批判されるのだから。」

時代背景とともに この言葉の重みについて再度考えさせられた1日でした。








幸いなことに、自分の周りには(ゲームでも仕事でも)こういう厄介なチンチクりんタイプはひとりもいないのでいつも楽しく平和なエオルゼア生活が送れてますが、
今日に限ってはチンチクリン連呼しすぎてゲシュタルト崩壊…  チンチクリン チンチクリン?チンチ・クリンチン
( ;∀;)

しかもチンチクリンって「身の丈に合ってない(服と中身がアンバランス)」のほかに「かわいらしい」の意味でも使われることあるらしい。
私の恩師がよく「あいつはチンチクリンだ!(話が通じん!)」と笑いながら使ってたので
”敬愛をこめつつの関わりたくない相手”に使うかんじだと勝手に思ってたヨ。  






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 01-思うこと徒然

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